【積極財政、首相に進言次々】

2017年5月6日
朝日新聞

■米識者ら「増税延期正しい」

「アベノミクス」の軸となる日本銀行の大規模な金融緩和の開始から4年余り。目標の「物価上昇率2%」は遠く、デフレ脱却の見通しは立たない。安倍晋三首相の周辺では、景気刺激のため、国の借金を気にせず財政出動をするよう進言する動きが出つつある。

1月6日。米著名投資家のジョージ・ソロス氏と元英金融サービス機構(FSA=日本の金融庁にあたる)長官のアデア・ターナー氏が、首相官邸で安倍首相と向き合っていた。「昨年の伊勢志摩サミットで(税率10%へ引き上げる)消費増税を(2019年10月に)延期したことは正しい判断だった」。ソロス氏の言葉に、安倍首相はうれしそうな表情を浮かべた。

続けてターナー氏は「物価上昇率2%の緩やかなインフレに届かない限り、さらなる財政刺激を約束すべきだ」と提案。「いまの経済状況では、金融政策だけでは(2%の目標達成に)限界がある」とし、達成まで政府は増税を封印するよう求めた。

2月にはノーベル経済学賞学者クリストファー・シムズ氏が来日。講演で「財政拡大して物価目標を達成すべきだ」と主張し、「物価上昇率2%に達しないなら(19年10月の消費増税のさらなる)延期もあり得る選択」と述べた。同氏は、政府が増税や歳出削減を封印し、赤字拡大を気にしない財政政策を続けるべきだとする。そうすれば人々は消費や投資を増やし、物価は自然と上がるという。

首相の信頼が厚い経済ブレーンの浜田宏一内閣官房参与(米エール大名誉教授)は「目からウロコが落ちた」と絶賛。シムズ氏の主張の要点をまとめ、首相にメールを送った。

■借金膨らむ可能性

ターナー氏とシムズ氏は消費増税延期を主張するが、政府は1千兆円超の借金を抱え、財政破綻(はたん)の懸念も生む。そこで目を付けられたのが日銀だ。金融緩和で年80兆円規模の国債を買い増しており、保有額は420兆円超、国債発行全体の4割にのぼる。

今の金融緩和は、政府が発行した国債をまず民間金融機関が買う。それを市場で日銀が買い、代わりにお金を流す。事実上、日銀が間接的に政府から国債を買い、お札を渡している。将来の緩和縮小では、日銀は満期が来た国債を買い替えないなどして、国債を買う量を減らすことになる。そのため、政府は野放図に国債を発行できない。

そこでターナー氏は、日銀に満期がない国債を永久に持ってもらい、政府はお札をもらって景気が良くなるまで使うべきだと主張。不況時に政府がヘリコプターで空からお金をばらまけばよい、という米経済学者ミルトン・フリードマンの「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)」が源流の考え方だ。

ヘリマネは「禁じ手」とされる政策だ。お札が野放図に発行されて国の借金が膨らみ、円の信用は落ち、急速な円安と物価高になりかねない。日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁は「基本的にはあり得ないし、日銀として考えているということは全くない」という。日銀による国債の直接引き受けは、財政法で禁じられてもいる。

そんな政策まで論じられ始めたのは、アベノミクスの行き詰まりの裏返しでもある。
首相ブレーンの一人は「デフレ脱却のため、あらゆる選択肢を否定すべきではない」と話す。来年4月に黒田総裁は任期切れを迎え、その後消費増税を巡る判断も焦点になる。
「ヘリマネ」論が政権内で浮上する可能性はなおも消えていない。

ユニオンからコメント

アベノミクスが行き詰まり、「禁じ手」とされてきた経済政策まで持ち出され始めているというニュースです。

有名な経済学者らが安倍首相に進言している「消費税増税の延期、さらなる財政刺激を約束すべき」は、言い換えると「もっとお金を刷って、ばら撒け」ということです。首相に信頼されているブレーンが飛びついた、ノーベル経済学賞受賞者クリストファー・シムズ教授の提唱する「シムズ理論」を「悪魔の理論」と紹介した記事を見てみましょう。

【「シムズ理論」が成功しても庶民だけが損をする理由】

財政拡大を正当化するシムズ理論が話題だ。しかし、よくよく聞くと、政府には都合がいいが、庶民は犠牲を強いられる理論のようだ。たとえば、借金をしたいだけして、楽に返すことができる。そんなうまい話があれば誰でも飛び付くだろう。

通常は、そんな話は存在しないのだが、今の政府の中にはうまい話が存在すると思っている人もいるようだ。今話題のシムズ理論である。増税せずにインフレで財政赤字を小さくし、債務残高を減らせるという夢のような理論だ。

元となる「物価水準の財政理論(FTPL)」の提唱者である米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授は、2011年にノーベル経済学賞を受賞している。シムズ理論に基づいて、財政再建のメカニズムを説明してみよう。

まず、政府が物価上昇率の目標達成(日本では2%)までは増税しないと宣言する。その上で減税を行い、公共事業などを増やして財政を拡大する。所得が増えた国民や企業が、消費や投資を増やす。

ここで肝心なことは、増税をしないという政府の宣言を国民や企業が「信じる」ことである。将来、増税するのであれば、増税時に備えて貯蓄をしようとするから、消費や投資を増やそうとはしない。消費や投資が増えれば、需要が増えるので物価が上昇する。物価が上昇すれば、通常であれば賃金も増加する。

やや極端な例になるが、説明しやすくするために、物価が2倍になり、年収も400万円から800万円になったと仮定する。インフレが進行して金利が上昇すればいずれは利払いの負担が増えるが、政府の借金の元本自体は即座には増えない。それどころか、2倍になった物価水準から見た借金の実質的価値は2分の1になる。

一方、増税をしなくても税収は増加する。日本も含め多くの国で、所得税については、所得が増えれば税率が高くなる累進課税という仕組みが採用されている。日本では、所得が400万円から800万円になれば、適用される税率が10%から20%に上がる。税収が増加することで債務返済を進めやすくなる。

現政権は、高等教育、幼児教育を含む教育の無償化に充てる財源として教育国債発行を議論するなど、財政拡大には熱心だ。そして、国際公約の20年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス〈PB〉、国債以外の歳入と国債の元利払い以外の歳出の収支)黒字化目標の旗を降ろす姿勢を見せている。

一方で、PB目標に代えて、債務残高の対GDP(国内総生産)比を目標にしようとしているのも、GDPを拡大させれば、財政支出が増えて債務残高が膨らんでも対GDP比は低下させることができるからだ。

シムズ理論のもくろみ通りにいけば、現在の日本の政策当局にとっては願ったりかなったりである。異次元緩和によるデフレ脱却に行き詰まっていただけになおさらだ。だから、昨年8月の米国でのジャクソンホール会議(世界各国の中銀関係者や経済学者らが参加する会合)での、「ゼロ金利の下では、マネーを増やしても物価を上げる効果は小さい。そうしたときには財政拡張が有効」というシムズ教授の論文に飛び付いた。

特に、昨年11月に内閣官房参与の浜田宏一氏がシムズ理論を聞いて「目からうろこが落ち、考えを変えた」と発言して以降、急速に日本での注目度が高まっている。ただ、日本以外の国では、ほとんど注目されていない。裏返せば、今の日本にとってそれだけ都合のいい理論なのだといえる。

では、シムズ理論は日本において効果を発揮できるのだろうか。冷静に見ていくと、発揮できない可能性の方が高い。なぜなら、日本の場合、政府の「増税しない」との宣言を国民が信用したとしても、それ以外の要因が働いて消費を増やさない公算が大きいからだ。

その一因が社会保障。若年層を中心に、老後の生活設計に見合った額の年金を受け取ることができないという不安が根強い。それ故、所得が増加しても消費に回さず貯蓄される可能性が高い。

消費が増えなければ物価は上昇しない。物価上昇率目標が達成できないのでずっと財政支出の拡大が続き、財政赤字が膨らみ債務残高が積み上がることになる。しかし、無制限に債務残高を積み上げることはできない。いずれは財政赤字を縮小するために増税することは避けられないだろう。

たとえ首尾よくシムズ理論のもくろみ通りに物価が上昇したとしても、多くの庶民は損をするだけになる。というのも、物価が上昇することで、庶民の預金や貯金の額が目減りするからだ。政府が抱える借金の負担が軽くなるのと正反対である。加えて、先ほど触れたように、所得税の支払額が増える。庶民にとっては踏んだり蹴ったりだ。

シムズ理論がうまく機能してもしなくても、庶民が損をして、得をするのは莫大な借金を抱える政府だけということになる。シムズ理論は、政府にとっては救世主かもしれない。しかし、庶民にとっては悪魔の理論でしかない。(2017年4月10日 週刊ダイヤモンド)

政府が「増税しない」と約束し、さらに減税して「お金をばら撒く」ことで、国民がお金を使う。すると物価が上がり、景気が回復するという理論です。国の借金が膨れ上がっても、対GDP比での数値目標にすり替えれば、数字上は減ることになるようです。理論通りにいってもいかなくても庶民が損するだけなので「悪魔の理論」と批評しています。

【著名投資家のソロス氏 1150億円の損失】

米紙ウォールストリート・ジャーナルは12日、米著名投資家のジョージ・ソロス氏(86)が昨年11月の米大統領選後の株式相場急騰を読み損ね、数週間で10億ドル(約1140億円)近くの損失を出したと報じた。同紙は「トランプ氏の予想外の勝利は、投資の難しさを浮き彫りにした」と指摘している。
多くの投資家はトランプ氏勝利で株価が急落すると予想したが、実際には経済政策への期待から急伸した。同紙によれば、ソロス氏は11月まで投資に慎重で、選挙後は株安になると見込み、多額の損失を出したという。昨年末には投資戦略を見直し、損失の拡大を防いだとされる。ソロス氏は近年、慈善家として活動し、昨年から投資の第一線に復帰したと伝えられた。大統領選では民主党のクリントン前国務長官を支持し、大口の献金も行っていた。(2017年1月13日 産経新聞)

ソロス氏から「正しい判断だった」と評価され、安倍首相が「うれしそうな表情を浮かべた」会談から1週間後に報じられたニュースは、ソロス氏も「判断を間違えることがある」ことを物語っています。同氏は、2002年にフランスの裁判所からインサイダー取引で有罪判決を受けたこともあります。

現在の日本の官製相場やマネタリーベースを、「世界に類を見ない特殊な状況」と指摘する専門家がいることをユニオンで紹介しました。さらなる増税延期や財政赤字を増大させる政策は、私たちの将来に大きな影響を与える重要な判断になります。

【ご参考】【公的マネーが大株主 980社】

首相からの信頼が厚い経済ブレーンなら、メールを送る前に、なぜ「日本以外では、ほとんど注目されていない」かを徹底的に検証することも必要です。経済政策や憲法改正など、日本の将来にとって重要な判断を、決して読み損ねることのないよう、慎重の上にも慎重を重ねる政治姿勢を強く望みます。

出典元:朝日新聞・週刊ダイヤモンド・産経新聞