【「月60時間」は看護師の過労死ライン?! 残業規制は何時間が適切か】
2017年2月12日
産経新聞
電通の新入社員の過労自殺を発端に、残業時間の規制の動きが急速に強まっている。
政府は、過労死ラインとされる「月80時間」を念頭に、月平均で60時間を残業の上限とする意向。しかし、この政府案に待ったをかけたのが、看護師たちだ。24時間体制の過酷な業務は、警察官や消防隊員も変わらない。医療や治安などを守るためにも彼らの言い分に耳を傾ける必要があるが、果たして過労死を防ぐ適切なラインはどこにあるのか。
■違法な残業が蔓延
電通に入社した高橋まつりさん=当時(24)=は半年間の試用期間を経て本採用になった途端、急に増えた残業に苦しめられた。残業時間が130時間を超える月もあった。
「もう(午前)4時だ。体が震えるよ」
「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」
高橋さんのツイッターなどにはこのような嘆きが並んでいた。
もともと労働基準法では、1日8時間、週40時間を労働時間の上限としている。
ただ労使協定を結べば、上限を超える残業も可能で、決め方次第で残業は“青天井”なのが実情だ。政府はここに法律の網をかぶせようとしている。
では、残業上限はどこが適切なのか。厚生労働省によると、健康障害のリスクが高まるとする残業は「月80時間超」だという。これは、働く日数を月20日間だと仮定すると、1日の労働時間が12時間になる。
厚労省は昨年4月から、労働基準監督署の立ち入り調査の対象となる残業時間を「月100時間」から「月80時間」に引き下げた。同年9月までの半年間の調査では、前年比の倍となる約1万の事業所を調査。その結果、4割で労使協定を超える違法な残業が確認された。過重労働は蔓延(まんえん)しているのだ。
若き命を失ったことも教訓に、政府の働き方実現会議は、残業の上限時間を月平均60時間、年間720時間にする。繁忙期には一時的に月100時間まで認めるという案をとりまとめようとしている。
■「過労死を容認するものだ」と反論
しかし、この「月平均60時間」にも異論がある。
日本医療労働組合連合会(医労連)は2月、「夜勤交代制労働など業務は過重である。政府案はまさに過労死を容認するもので、断じて容認できない」として、「月60時間」が過労死ラインと主張する談話を公表した。
医療や介護の分野は特殊である。警察や消防も同様だが、24時間365日の稼働が必要だ。夜勤交代制は体に有毒で、睡眠障害や循環器疾患、長期的には発がん性も指摘されている。医労連の平成25年のアンケートでは、看護師の「慢性疲労」が7割を超え、「仕事を辞めたい」も75.2%に達している。
■後を絶たない過労死
看護師側が「月60時間」を過労死ラインと断ずる理由は、20年10月の大阪高裁判決にある。くも膜下出血を起こして看護師の女性=同(25)=が死亡したことに対し、遺族側が国を訴えたケースだ。
女性の残業は、国の過労死ラインを下回る月50~60時間程度だった。しかし、判決では、不規則な夜間交代制勤務など「質的な重要性」を併せて過労死と認定したのだ。判決は被告側が上告せず、確定している。
21年には日本看護協会が残業に関する緊急の調査結果を発表。全国の病院で働く看護師のうち、「約2万人が過労死の危険がある月60時間以上の長時間残業をしていると推計される」とした。
しかしこの後も看護師の過労死は後を絶たない。
東京都済生会中央病院に勤務していた看護師の女性=同(24)=が死亡し、労基署が労災を認定した。
24年12月にも、就職して1年目の看護師=同(23)=が月65時間を超える残業で過労自殺。昨年末、国に労災認定を求め、遺族が札幌地裁に提訴している。
ユニオンからコメント
「月平均60時間」を軸に議論されている残業時間の上限規制について、医療関係者らから、「月60時間そのものが過労死ラインだ」という意見が出されているというニュースです。
看護など、24時間体制での業務や不規則な夜間交代制勤務の必要がある(業種・職場)ではたらく人の多くが、慢性的な疲労を訴えていて、感じているストレスの質が違うのは事実です。そのため、月50時間程度の残業でも過労死と裁判所が認めたケースがありました。
つまり、労働基準法を改正して、残業時間の上限を規制するだけでは解決しない問題もあるという指摘です。確かに、「あらゆる仕事を時間だけで区切ってしまう」では解決しない問題が残りかねません。では、どうすればいいのでしょう。このとき、「月45時間に」と上限時間規制だけを話し合えば、また事情の違う現場から異論が出てくるはずです。
労働基準法は、法定労働時間を超える残業を(月45時間、年360時間以内に)と「限度基準」を設けています。例えば、この「月45時間」を超える残業をした従業員に、「ストレスチェック制度」を併用するような方法などが模索されるべきでしょう。
ストレスチェック制度とは、労働安全衛生法の改正を受け平成27年12月にスタートした制度で、「労働者が自分のストレス状態を知って早めに対処し、うつなどを予防すること」を目的に、定期的に労働者のストレスの状況について検査を実施することを、従業員50人以上の事業所に対し義務付けた制度です。
【ご参考】【ストレスチェックの実施が義務になります】厚生労働省(PDF:3.19MB)
つまり、会社は、最低でも年1回は「従業員の心の状態」を調べなければいけないということです。その結果から、「高ストレス者」と判定された人(※本人が希望した場合)には医師による面接指導を行い、必要に応じて会社は残業時間を制限するなどの措置を取らなければいけません。
もちろん、はたらく人自身が心身の健康状態を把握することは大切ですが、「ギブアップ寸前」の人をいち早く見つけ、救い出せる職場作りも重要です。早い段階で、産業医など専門家のアドバイスがあれば、事故防止につながります。
今のところ、「広く知られていない」「効果の検証が不十分だ」「会社側が対応に苦慮している」など、制度の課題が多く指摘されています。「リストラ候補者選び」など悪用・逆効果への対処を検討する必要はありますが、導入・運用について工夫を重ねることで(過労死・過労自殺)を防ぐという観点からは即効性が期待できる制度になるはずです。
もう一つ、残業時間の上限規制には、注意が必要な点があります。それは、法律で残業時間を決めてしまうことで予想される、管理職への「労働時間のしわ寄せ」です。残業時間が決められることで、裁量労働制ではたらく人や管理監督者の労働時間が急激に増えてしまう可能性についても、同時に議論されるべきでしょう。
例えば、管理監督者については「名ばかり管理職」という問題があります。これは、労働基準法第41条2項の「管理監督者には割増賃金の支払は適応外」という条文から、会社独自の基準で管理職と決められ、肩書だけが管理職で残業代が払われない労働者の問題です。
2008年に日本マクドナルドの店長が「管理監督者に該当しない」とされた東京地裁判決を受け、「名ばかり店長」というキーワードが繰り返し報道されました。あれからおよそ10年が経過し事件は風化しつつありますが、問題が根絶したとは言い切れません。
【ミスドFC店長過労死、経営側に4600万円の賠償命令】
三重県内の「ミスタードーナツ」のフランチャイズ店長男性(当時50)が過労により不整脈で死亡したとして、男性の遺族が、店舗を経営する「竹屋」(同県四日市市)や同社社長らに損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、津地裁であった。岡田治裁判長は、長時間労働と死亡との間に因果関係があるとして、会社側の安全配慮義務違反を認め、同社と社長らに計約4600万円の支払いを命じた。
男性は2011年7月から津市内の2店舗で店長を務めるなどしていたが、12年5月、通勤途中に致死性不整脈で死亡した。四日市労働基準監督署は13年7月に過労死と認定していた。判決は、男性の時間外労働が直近6カ月間の平均で月112時間を超えていたと認定。男性の長時間労働は常態化していたが、会社側は業務の軽減措置をとらなかった、と指摘した。(2017年1月30日 朝日新聞)
この裁判の判決では、名目は店長という管理職でも労務管理に実権のない「名ばかり管理職」だったとして、会社の安全配慮義務違反を認めています。つまり、店長という肩書のため「身体が壊れるまで長い時間はたらいていた」ことが問題視されました。
残業時間の上限規制だけを議論していては、医療関係者などの(残業の質の問題)や、管理職に予見される過労問題が見過ごされてしまいがちです。過労死や過労自殺につながるほどの長時間労働を是正するには、業種や業態ごとに違ってくる事情、繁忙期と閑散期のバランス、さらには個人の収入の問題にまで及んだ柔軟な議論が必要です。残業時間を規制したことで「名ばかり管理職」が多く生み出された、決してそのようなことがないよう、丁寧な議論がされて、総合的な改善策が出されることに期待します。
出典元:産経新聞・厚生労働省・朝日新聞