【記者の目 守られない最低賃金】
2017年2月3日
毎日新聞
■違反者の名前、公表を
最低賃金が守られていない。厚生労働省が昨年6~7月に実施した調査によれば、東京都と大阪府では中小企業労働者の5%以上が最低賃金に満たない給与で働いていた。
20人に1人という驚くべき割合だ。私たちが情報公開請求でデータを入手し、昨年12月に紙面化すると、読者から「私の職場もそうだ」という切実な声が数多く寄せられた。
安倍晋三政権は最低賃金を全国平均で時給1000円(現行823円)に引き上げる目標を掲げているが、実現しても守られなければ意味がない。違反撲滅に向けた政策も同時に打ち出すべきだ。
■雇用主は怠慢、監督官は不足
厚労省調査では他にも3%を超えた地方がある。街を歩けば、最低賃金未満の時給を堂々と記した求人ビラが目に入る。なぜ、守られないのか。違反した雇用主への取材で、制度を守らせる実効性が極めて不十分だと感じた。
最低賃金法が制定されたのは1959年。以来、賃金の最低基準は国が定め、それを下回る賃金は禁じられるようになった。金額は、毎年秋の改定で都道府県ごとに決まる仕組みだ。ところが、この基本的な事実を雇用主が知らない。
最低賃金より69円低い時給で従業員を雇っていたエステ店(東京都)の女性オーナーは、取材に対し「10年前から店を開いているが、制度を知らなかった」と答えた。親子で日本料理店(同)を営み、最低賃金より32円安い時給で求人募集していた男性店長は「最低賃金がいくらか知らなかった」と釈明した。
制度を知らないのは言語道断だが、この店長のように最低賃金の確認を怠る雇用主があまりにも多い。以前は最低賃金の改定が実際の給与水準にほとんど影響しなかったためだろう。90年代末から2000年代半ばまで、引き上げ率は年1%未満で、金額も650~670円台にとどまっていた。しかしその後、最低賃金の低さが問題となり、引き上げ率は徐々に拡大。昨年秋の改定では3%(25円)上昇した。今は毎年の改定額をチェックしないと、給与が最低賃金を割り込むことが十分あり得る。
雇用主の怠慢を監視するのは、労働基準監督官の役割だ。違反には50万円以下の罰金という罰則があり、監督官には警察官のように逮捕・送検する権限もある。だが、厚労省によると、監督官の実質人数は3000人弱。労働者1万人当たり0.53人で、国際労働機関(ILO)が示す目安の半分程度だ。違反の通報を受けても十分対応できていないという指摘もある。
こうした中、働く人自身が身を守る重要性を説く声が高まっている。知識があれば雇用主に是正を求められるし、労働組合などの支援機関にもつながりやすい。与野党の国会議員でつくる議員連盟も「ワークルール教育推進法案」の提出を準備している。労働者の権利や雇用主の責務を義務教育段階から教えられるよう、基本方針の策定や予算確保を国に義務付けるものだ。私たちの取材でも、最低賃金未満の給与に気付かずに働いていた人が少なくなかった。早期の成立に期待したい。
■教育だけでは実効性不十分
ただ、教育だけでは不十分だと思う。労働トラブルを大学や高校で教えているNPOに聞くと、授業に関心を持たせるのに苦労するという。社会に出ていない若者には、労働問題を切実に感じられないのかもしれない。教育推進法が成立しても、知識をどう浸透させるかが課題となるだろう。また、違反者の中には人件費の抑制のために最低賃金をあえて無視する確信犯的なケースもある。悪質なルール破りに対応するためにも、まずは制度を守らせる実効性を高めるべきだ。
そこで、最低賃金違反者の公表制度を提案したい。個々の違反を罰するより、最低賃金について周知できる効果もある。英国が導入しており、未払い賃金総額が100ポンド(約1万4000円)以上の違反者を原則明らかにしている。非公表とするのは、特定の個人に被害が及ぶ恐れがある場合などに限られる。13年10月にこの方式で運用が始まり、687社が公表された。日本は原則非公表だが、監督官が不足する現状で、公表制度は有効な手段となるだろう。労使関係に詳しい田口典男・岩手大教授(人的資源管理論)も「社名公表は会社に大きなプレッシャーになる。違反が3回見つかれば公表するスリー・ストライク制を設けてもよい」と提唱している。
今、過重労働がクローズアップされている。最低賃金を守らない職場は労働時間など他のルールも無視する傾向にある。人件費を不当に抑え、経済の公正な競争も害している。これ以上、違法な低賃金を野放しにしてはならない。
ユニオンからコメント
毎日新聞が「最低賃金違反が多発している」というテーマで、2016年12月にいくつかの記事を掲載しました。担当記者が、取材を通じて実感した思いから「違反した会社名の公表」など、実効性の高い対策が必要だと提言しています。
毎日新聞大阪社会部は、これまで厚生労働省が開示してこなかった都道府県別の最低賃金未満のデータを情報公開請求するなど、精力的に取材を重ね、ハローワーク等で最低賃金未満の求人情報を掲載していた事実を記事にしました。
【最低賃金未満 東京、大阪の中小で5%超 今年度】
国が定める最低賃金を下回る給与で働く中小企業労働者の比率が、2016年度に東京都と大阪府で5%を超えたことが全国47労働局の調査で分かった。12~15年度の全国平均1.9~2.1%を大幅に上回り、前年度比で東京は3.8倍、大阪は1.4倍に急増。求人情報会社の調査では、アルバイト・パートの時給は全国平均で1000円前後に上昇しているが、違法性を認識しながら給与を据え置いたり、最低賃金の確認を怠ったりする雇用主が増えているとみられる。(2016年12月19日 毎日新聞)
【国サイト、最低賃金違反・・・7月以降66件】
国が運営する就職支援サイト「ハローワークインターネットサービス」で7月以降、時給が最低賃金を下回る求人情報が少なくとも66件掲載されていたことが、厚生労働省への取材で分かった。ハローワークの職員が求人を受理した際、時給の確認が不十分だったためで、厚労省は「チェック体制が甘かった。雇用された人はいなかったが、あってはならないミスだ」としている。ハローワークを巡っては2012年にも、最低賃金を下回る求人を受理したとして総務省の勧告を受けている。厚労省職業安定局は「今後は一層、厳しくチェックするよう指導する」としている。(2016年12月22日 毎日新聞)
【最低賃金未満 民間でも 大手求人サイトで73件掲載】
アルバイトやパートに関する民間求人情報サイトで、最低賃金を下回る時給の求人が多数掲載されていたことが分かった。毎日新聞が調べたところ、国内最大級の「タウンワーク」など6サイトで計73件見つかった。サイト運営会社は「掲載すべきではなかった」と認め、全ての求人情報を訂正した。最低賃金を下回る求人を巡っては、厚生労働省が運営するハローワークのサイトでも掲載していたことが判明している。(2016年12月25日 毎日新聞)
記事は、「チェックミス」や「認識が甘かった」などの理由で、最低賃金が守られていない実態を浮き彫りにしました。毎日新聞は、公益性が高いとの判断から、取材で得たデータをSNSで公表しています。内容は、都道府県別の最低賃金未満率(2016年度)、最低賃金についての高校生アンケートの結果詳細です。
「最低賃金が守られているか」を気にしながら、アルバイトを探す高校生は皆無といっていいでしょう。テレビでコマーシャルを流しているような大企業が運営するサイトで見つけたアルバイト先が最低賃金を守っていないとは夢にも思いません。
次のニュースを見ると、「高校生アルバイトの無知につけ込む」というより、「雇う側の無知がひどい」という実情が窺えます。
【セブン‐イレブン バイト病欠で「罰金」女子高生から9350円】
コンビニエンスストア最大手、セブン‐イレブンの東京都武蔵野市内の加盟店が、風邪で欠勤したアルバイトの女子高校生(16)から9350円の「罰金」を取っていたことが分かった。セブン‐イレブン・ジャパンは「労働基準法違反に当たる」として、加盟店に返金を指導した。店側は「休む代わりに働く人を探さなかったペナルティー」として、休んだ10時間分の9350円を差し引いたと保護者に説明したという。(2017年1月31日 毎日新聞)
このケースは、労働基準法第91条「労働者に対して減給の制裁を定める場合、減給は1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え、総額が賃金総額の10分の1を超えてはならない」に違反しています。
また、最低賃金を守らないことは、最低賃金法違反だけでなく、それを定めた労働基準法第28条に違反します。最低賃金を下回る労働契約は無効ですから、「賃金は、通貨で、直接労働者に、(月1回以上、一定の期日を定めて)その全額を支払わなければならない」とする労働基準法第24条にも違反(30万円以下の罰金)します。
このように、報道されている事件は、すべて何らかの法律に会社が違反しています。問われているのは、会社の方針やモラルではなく、違法行為そのものについてです。
はたらく人がルールを熟知して、「法律を守らない会社で、はたらかない」とどうなるのでしょう。当然、その会社には人が集まらなくなると考えられます。すると、会社は人手を確保するために時給を上げざるを得ません。有期雇用の労働力には、需要と供給のバランスで価値が決まるという側面があるからです。
【バイト時給1000円時代 外食・運輸で人手不足深刻 】
アルバイトやパートの時給が上昇している。民間の調査で、9月の全国の平均時給が初めて1千円の大台を超えた。10月の最低賃金引き上げを控えて条件を見直す動きが目立った。同月の社会保険の適用拡大も人手不足に拍車をかけており、かき入れ時の年末を控えた採用競争が激しさを増している。寄与度の大きい外食の時給上昇が平均額を押し上げた。企業は時給引き上げによる人材の確保を急いでいる。(2016年10月19日 日本経済新聞)
極端な言い方をすると、「働き方改革実現会議」は、「何度言ってもルールを守らない会社に、ルールを守らせる」ための会議です。そのために、事細かくルールを決めたり、罰を重くしたりしようという議論がされています。
労働者の側にも「働き方改革」が求められています。最低賃金や長時間労働、雇用保険の未加入など、ルールを守らない会社が人手不足になるようなものなら実効性は高いでしょう。そうなると、会社はルールを守るか廃業かの選択しかありません。
記事が指摘するように教育だけでは限界がありますが、最低賃金以下の時給でアルバイトをしていた学生が、社会人になって違法な長時間労働を受け入れてしまう可能性は高いと言わざるを得ません。政治や会社にまかせっきりにしない、何らかの対策は必要です。
例えば、「自分はなぜ有期雇用ではたらいているのか」と考えてみます。
有期雇用については、労働契約法第17条2項に「使用者は、有期労働契約について、その有期労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その有期労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない」と明記されています。
つまり、有期雇用は、その期間だけ労働力が必要である場合に認められる雇用形態です。クリスマスケーキの販売、海の家の店員のようなイメージです。ところが、社会の変化や様々な法改正を経て、現在では雇用調整の意味で使われることが多くなっています。これには、日本の法律は「正社員の解雇が難しい」という事情があります。つまり、「辞めさせやすい」ので有期雇用しているということです。
一方のはたらく人には、「嫌なら会社を辞める」権利が認められています。言い方を変えると、「急に辞められたら困る」会社と、「いきなり解雇されたら困る」労働者で、労働契約が対等であるという原則です。このようなルールを知ったうえで、「自分は有期雇用ではたらいている」と意識することで、会社のルール違反に敏感になれます。
労働に関するニュースは、有名企業や一流大卒のエリートが過労死などの事件ばかりに注目が集まりがちです。最低賃金を守らない会社の「知らなかった」という言い訳が通用しない社会を実現するには、高校生の意識調査など、幅広い問題意識で取材された、今回のような報道が必ず役に立つはずです。
出典元:毎日新聞・日本経済新聞