2.月刊人事マネジメント

月刊 人事マネジメント 2014.5
人財「採用・育成、評価・賃金」実務資料誌

シリーズ The 労使紛争交渉人

-貴社にも突然やってくる労働Gメン組織とは-

リポート 伊藤 秀範

60万人の働く障害者の権利を守る 個別労使紛争を未然に防ぐ その「抑止力」でありたい

昨年12月、働く障害者のみを対象とした労働組合が都内に誕生した。労働相談や団体交渉活動以外にも、個別労使紛争を未然に防ぐための「抑止力」としての役割も揚げる。執行委員の中には人事採用コンサルタントもおり、諮問機関の評価委員には社労士が含まれる。使用者側との対話の柔軟さにも定評のあるソーシャルハートフルユニオンの久保修一書記長が、今回の労使紛争交渉人である。

今年1月の「ある悲劇」への思い

「われわれのようなユニオンが間に入っていれば、もしかしたら、この男性看護師の命も救えたかもしれないし、病院経営の悪化も防げたのではないか、そう思うことがあります」。

ソーシャルハートフルユニオンの久保修一書記長(以下、久保氏)の目線は、今年1月下旬、吃音の症状のある34歳男性看護師が、職場で自分の吃音が理解されないことを思い悩み、札幌市の自宅で自殺したとされる報道記事に注がれていた。

報道を機に、その自殺した男性看護師の勤務先だった病院名はネット上に晒されて炎上。「障害者への差別」「障害者への配慮に欠ける」というメディア、そして世間からの「社会的な制裁」を受ける格好になり、経営の悪化を招いた。

「法定雇用率の2%をしっかりと守っているのだから大丈夫。障害者雇用へのそうした甘さが、その病院の経営者にはあったのかもしれません。

ただ、こうした悲劇的な事件から企業が学ぶべきことは、とても多いはずです。一度こうした問題が発生してしまったら、経営の屋台骨が揺らぐという大きな経営リスクにもつながりかねない。この悲劇的な事件は、そのことを障害者雇用に関わるすべての企業に突き付けた問題提起でもあると私は思っています」(久保氏)。

障害者雇用促進法での改正ポイント

久保氏が指摘するように、企業人事の現場では昨年4月からの法定雇用率の1.8%から2.0%への引き上げ(一般の民間企業の場合)、さらに精神障害者の2018年4月からの雇用義務化など、障害者の雇用に関する「入口論」ばかりがクローズアップされがちだ。

しかし、昨年改正された障害者雇用促進法では、その主要事項の中に「障害者の権利に関する条約の批准へ向けた対応」として、「合理的配慮の提供義務」(事業主に、障害者が職場で働くに当たっての支障を改善するための措置を義務付け。過重な負担を及ぼす場合を除く)、そして「苦情処理・紛争解決援助」(紛争解決制度の創設)など、人事に深く関わる重要項目も新たに付け加えられた。

「合理的配慮という言葉が新たに加わったことで、障害者雇用の現場では少なからず混乱が生じているようです。障害者である従業員に声をかける場合でも、『この言葉は差別に当たらないのだろうか?』と、言葉や表現の使い方一つひとつに神経をピリピリさせている職場もあります。

もちろん雇用する側のそうした配慮への思いはとても大切です。ただ、合理的配慮が過剰な自主規制につながり、さらに雇用されている障害者側も言いたいことが言えないという職場環境になってしまうのは、双方にとって不本意なことだと思います」(久保氏)。

「障害者」と「障がい者」

合理的配慮に対する混乱を示す最も身近な例として、久保氏は「障害者」や「障がい者」といった表記における対応の違いを挙げた。

「『害』を『碍』に変えるケース。あるいはひらがなの『がい』を使用するケース。そのレベルでも差別に対する慎重さ、警戒心などが垣間見えます。合理的配慮を意識し始めたことで、ますます職場内での人間関係がギスギスしたものになってしまうことへの懸念はあります」。

例えば障害者を雇用する場合、1年に1度、該当する労働者から「障害者手帳」の提示を受けなければならない。企業における法定雇用率の算定のためにも必要なチェック機能だが、当の障害者からすれば、年に1度、自分が障害者であり、周りの健常者の同僚とは違う障害者枠での雇用であることを自覚させられる日でもある。

そうした健常者目線で作成されたマニュアル通りの決まり事も、障害者にとってはある意味、疎外惑につながらないとは言い切れない。

今後、障害者雇用が企業に定着していけば、そのためのコミュニケーションツールも続々と開発される可能性はあるものの、現状ではまだ手探り状態に等しい。久保氏は今、そうしたコミュニケーションツールのような存在としての、ユニオンの「媒介的機能」に着目している。

「われわれのような障害者に特化したユニオンが介在することで、双方のスムーズな意思疎通に役立ててほしいと思っています。それによって冒頭の看護師と病院の関係のような、双方が不幸になるような最悪の事態を未然に防ぐための抑止力にもなれるのではないか。そうしたユニオンの介在価値というものがあることを企業に知ってもらいたい。それはこのユニオンを設立した大きな理由の一つでもあるのです」。

設立早々、労慟相談が殺到

昨年12月25日のクリスマスの日、「60万人の働く障害者」のための障害者専用労働組合として、ソーシャルハートフルユニオンの結成大会が行われた。今年2月19日には労働組合としての資格認定を受けた。2月19日は日本が国連「障害者権利条約」締約国としてその効力が発効した記念すべき日である。

現在、都内で「働く障害者のための無料労働相談会」を積極的に開催しているが、専門特化の労働組合であり、働く障害者やその家族からの関心は高く、相談会には多くの労働者とその家族が訪れている。

「現状では知的障害者の割合が多いのですが、この相談会を通じて働く身体障害者からの労働相談がかなり増え始めました。おそらく近いうちに身体障害者の組合員のほうが数の上では上回るのではないかと思われます」。

最近の相談事例としては例えば次のようなケースがある。

ある独立行政法人に勤務している下肢障害者の労働者は、勤務先から通告された雇い止めに対しての不満から同ユニオンに加入。現在、独立行政法人との団体交渉ヘ向けた交渉が進められている。

「当初、労働者は法廷闘争も辞さないという覚悟でしたが、われわれが間に入ることでもっと穏やかな形での交渉となり労働者、使用者にとっての最良の結論が得られればと思っています」と久保氏。

また、「ゴーストライター」問題で「聴覚障害」音楽家の疑惑が話題を集めたが、その影響なのか、聴覚障害者からの労働相談もこのところ多く寄せられているという。

「大手メーカー勤務の聴覚障害者からは、部署ぐるみでいじめを受けているとの相談を受け、これから団体交渉も含めた改善策を模索します」と、設立早々の反響の大きさに、久保氏も多忙を極めている様子。

「使用者による虐待」相談が最多

「障害者虐待防止法」施行の約1年後の昨年11月、厚生労働省が発表した調査結果報告書(2012年10月1日~2013年3月31日)によると、「使用者による障害者虐待についての対応状況等」での相談・通報件数は303件。

同じく厚生労働省が昨年6月に発表した「使用者による障害者虐待の状況等について」の報告書(同期間)によると、「使用者による障害者虐待が認められた事業所」は133事業所。虐待を行った使用者は136人。虐待者と被虐待者との関係では、事業主113人、所属の上司19人、その他4人。

また、被虐待者数は194人。その障害種別は、身体障害者25人、知的障害者149人、精神障害者23人、発達障害者4人となっている(障害種別の数字については重複あり)。

障害種別では知的障害者への虐待が群を抜いているが、ソーシャルハートフルユニオンにおける相談事例全体でも、「職場での知的障害者への虐待」が最も多い。

「就労継続支援A型施設に勤める知的障害者の組合員の件で、先日、施設に団体交渉を行いました。直近に受け取った給料は、125時間労働で1万3,203円。時給換算で105円です。そうした最低賃金が守られていないことと併せて、身体には虐待を疑わせる火傷の跡や痣も確認できました。とても看過できない状態であり、団体交渉をしなければいけないと思っています」(久保氏)。

知的障害者の場合、その障害程度区分などにもよるが、労働者である本人の口から虐待や労基法違反などの相談が持ち込まれるというケースは少ない。通常は保護者である父母からの相談で、ユニオンはその実態を知らされる。

ここが同じ労働相談でも、健常者、あるいは身体障害者の労働者などと大きく異なる点であり、同時に対応の難しさでもあるだろう。

知的障害では「親の覚悟」が大切

ユニオンヘの相談内容はその労働者によってさまざまであるが、知的障害者の場合、前述のように本人の口からそうした自分の意思表示をするのは、健常者ほど容易ではない。

そのため、使用者との団体交渉を行うに当たっては、「まずは親の覚悟を見極めることが大切です」と久保氏。

「団体交渉になった場合、想定外のことも起こりえます。こちらの希望通りには進まなかった場合の覚悟も、やはりしておかなければいけません。働いている本人はその仕事を続けたいと思っているかもしれない。しかし、団体交渉になれば、使用者の言い分もあります。必ずしもこちらの主張が通るとは限りません。そのときの覚悟は、本来なら本人にしてもらうのが一番ですが、知的障害者の場合本人の親にそれを求めることがまずは先決となります」。

そうした場面ではいつも、久保氏は保護者にあるアドバイスをするという。

「できる限り同じ職場の仲間を巻き込みなさいと伝えています。単独交渉では、どうしても言った言わない、やったやらないの押し問答、平行線で終わってしまう可能性があります。しかし、複数の同じ意見があれば客観性が加味され、事実として認められやすいからです」。

久保氏が最も危惧するのは、相談や団体交渉等を通して、知的障害者が自分は「被害者であった」ことを過剰認識してしまうことだ。そして使用者に対する憎しみの感情を衝動的にぶつけてしまうことである。

確かに第三者から見れば明らかな虐待、労基法違反であると想定できるケースでも、自分がその「被害者」であるとの認識ができていない知的障害者である場合、「正しい情報」を知ることで雇用主への感情が憎悪へ変わる可能性というのも否定はできない。

「自分が実は会社に騙されていたのか……。そうした感情を抱いてしまい、労働者、使用者双方にとっての不幸な事件になってしまうのは、われわれにとっても本意な結末ではありません。働く知的障害者の場合、本人ではなく、親の覚悟を優先するのはそのためです。

もっともそうしたリスクをどこまで想定しているのか分かりませんが、法定雇用率の数字合わせにばかり一生懸命になっている事業者の姿などを見ていると、とても心配になることがあります」。

「駆け込み寺にはなりたくない」

「語弊のある言い方になりますが」と前置きしたうえで、久保氏は「われわれはユニオンですが、なるべく駆け込み寺にはなりた<はないのです」と言う。それはユニオンらしからぬ意外な言葉ではある。

「なぜなら、駆け込み寺的なユニオンのスタンスでは、こと障害者に関しては解決できる方法が非常に限定的である、との認識があるからです。もちろん団体交渉はしていかなければなりません。しかし、ユニオンとしてどう事業者と関われるのか?という抑止力の観点のほうが、少なくとも知的障害者のための支援になるのではないかと思うのです」。

同ユニオンでは現在、各企業に対して、そうした抑止力の観点から、働く障害者が組合員としてユニオンへの加入することの意義について「の啓蒙的な活動も行っている。

活動の「お目付け役」を設置

ユニオンとしてはやや「異例」な活動としてはもう一つ、活動の「お目付け役」として、有識者外部委員で構成された「ソーシャルハートフルユニオン評価委員会」という諮問機関を設けている点にも最後に触れておきたい。

メンバーの肩書は社会保険労務士、行政書士、弁護士、大学院教授などの多様、その第三者的な客観性を担保しようとする組織体系からは、たしかに「労働者の駆け込み寺」というよりも、その抑止力的見地から、働く障害者と使用者の媒介役としてのアプローチを優先したいとする同ユニオンの姿勢が伝わってくる。

「委員の社労士からはよく、企業の人事担当者から、今後想定される障害者雇用の問題についての相談を受けたとの話を聞く機会もあります。

例えば、企業内で障害者である労働者と事業主の間で紛争が起こった場合、事業主は、苦情処理機関を設ける等により、自主的解決を図るための努力義務を負うという条文が、昨年の雇用促進法の改正では加えられました。しかし、雇用する側からすれば具体的には何をすればいいのか?が曖昧であり、メンバーの社労士にそうしたた質問をされる経営者や人事関係者はとても多いと聞いています」(久保氏)。

納得できる「着地ライン」の模索

職場に100人の障害者がいれば、それこそ100通りの解決方法が必要であるとも言われる。一口に「自主的解決を図る」とは言っても、そもそも、「最低限これだけはやってほしい」という一定のラインがなければ、労使双方が納得できるような着地点を見出すことはなかなか難しい。

「そのための独自策として、われわれは組合員である働く障害者に対してアンケートを取り、例えば60%以上の割合で同じ回答が得られた内容に関しては、最低でも事業者に守ってもらうラインと定めてみてはどうか?という議論を現在、活発に行っているところです」(久保氏)。

まだ船出したばかりのソーシャルハートフルユニオンだが、その先鋭的な取り組みの数々は、机上の論理では得られない、障害者雇用に関わるすべての企業にとっての貴重な”生きた参考事例”にもなりうるだろうー。

 「人間は誰しも、身近なこととして障害と向き合う可能性があります。自分の子供が障害を抱えて生まれたということもあれば、配偶者や両親がある日突然、障害を抱えるということもあります。もちろん労働者あるいは経営者として働いている自分がある日、糖尿病の悪化で失明するというリスクも否定はできません。そうなったとき、いきなり社会、そして会社から追い出されてしまうという悲惨な事例も、実際にとてもたくさんあります。そうした世の中で、人事や経営者が、もしある日突然、自社の社員が障害者となってしまった場合でも、そのまま雇い続けるというアピールを堂々とできるかどうか。単なる法定雇用率の数字合わせだけではない、そうした企業としてのCSRの姿勢が今、問われはじめているのではないかととても強く感じます」(久保氏談)

※久保 修一
1965年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科中退。 日本で初めての障害者のための労働組合「ソーシャルハートフルユニオン」書記長。
会社と対立することが多い労働者側ユニオンという立場でありながら、円滑な職場こそが働く障害者のためになるとの信念から、 会社の苦心や努力にも理解を示し、会社側からも信頼されている障害者雇用問題のスペシャリスト。

※<ソーシャルハートフルユニオン>

働く障害者のための専用労働組合として2013年12月25日に結成。障害者手帳のある働く障害者を対象とし、障害者を雇用する事業主に対しては、団体交渉だけでなく、「個別労使紛争尾未然に防ぐ」防止力的なスタンスでアプローチを取り入れている点にも特徴がある。諮問機関としての「ソーシャルハートフルユニオン評価委員会」も設置。執行委員長は石崎真一氏。

所在地:東京都豊島区西池袋3-30-7 天田ビル2F

出典元:月刊人事マネジメント 2014年5月号