【「命に優劣」こそ問題なのに】

2017年5月3日
朝日新聞

3月。たにぐちまゆ(44)は大阪・梅田の映画館で、楽しみにしていたアニメを友人と見た。統合失調症の精神障害があり、障害者手帳を窓口で見せれば、割引が受けられる。でも、あの日から手帳を見せられなくなった。

「こわいと思われるんじゃないかって」昨年7月26日。相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺された。逮捕、起訴された植松聖(さとし)被告(27)は「障害者は生きていてもしかたがない」と語り、パーソナリティー障害と診断された。

事件後、ネット上には「精神障害者はみんな病院に入れておけばいい」といった言葉があふれた。たにぐちは、「精神障害者=危険な存在」という偏見が再び噴き出したと感じた。
昨夏の事件で、いままでの積み重ねを壊された思いがした。

「氷を解かすように少しずつやってきたのに……」。彼女が心配するのは、世間の「視線」だけではない。人の命に優劣をつける考え方こそ問題のはずなのに、国の再発防止策はむしろ、たにぐちら障害者を「危険視」して管理しようとする方向に進んでいるからだ。

政府は今年2月、相模原事件を受けて、精神保健福祉法改正案を国会に提出した。精神疾患で自分や他人を傷つける恐れがある人を強制入院させる「措置入院制度」について、警察や自治体の関与強化が柱となった。

これに先立ち、厚生労働省の有識者チームは、植松被告は事件の約5カ月前に措置入院先から退院していたことを踏まえ、行政や医療機関が退院後に十分支援していれば、「事件の発生を防ぐことができていた可能性がある」と指摘。法改正に道筋をつける報告書をまとめた。

しかし、有識者チームの一人は「措置入院制度の改正を議論した認識はないが、政府の意向を受けて『制度的な見直し』が報告書に盛り込まれた」と指摘。あるメンバーは「医療や福祉的な支援があれば事件を防げたと考えていた人はいないだろう」と話す。

国の統計では精神障害者の犯罪率は障害がない人より低い。一部の野党は改正案を「精神医療を犯罪防止に使うのはおかしい」「警察の関与は監視につながる」などと批判する。

「措置入院制度に不備があったから事件が起きたという理屈は、政府による問題のすり替えだ」と、刑法学者で九州大名誉教授の内田博文(70)は改正案に反対する。
「誤った政策を通じて偏見が社会に広まれば、市民が差別の担い手になる。差別された人たちは社会の反発を恐れ、声を上げられなくなる」。

ユニオンからコメント

精神障害者が障害者手帳を掲示できない、現在の心情を紹介した記事です。
精神障害者の雇用義務を明記した(改正障害者雇用促進法)の施行が11か月後に迫っていますが、「これを機に、就職を」と考えている当事者にとって深刻な問題です。

相模原事件の再発をどのように防ぐか。議論していた厚生労働省の検討チームが結論とした「措置入院患者への継続的な支援」をきっかけに、精神保健福祉法改正の議論が始まりました。

【ご参考】【相模原殺傷事件の再発防止 厚労省主導に限界】

犯罪防止と精神障害者支援が同じテーブルで議論されていると批判されている、精神保健福祉法改正をめぐる経緯を見てみます。

【措置入院後支援を審議】

相模原市で起きた障害者殺傷事件を受けた精神保健福祉法改正案が7日、参院本会議で審議入りした。同法に基づく措置入院を解除された患者に支援を継続するよう自治体に義務づけるのが柱で、政府は今国会での成立を目指す。(2017年4月8日 朝日新聞)

【ご参考】【精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律案】厚生労働省(PDF:768KB)

【精神保健福祉法改正案 趣旨文の相模原事件への言及削除】

厚生労働省は13日、参院で審議中の精神保健福祉法改正案の趣旨説明文の一部を削除したと与野党に伝えた。審議途中で政府が一方的に変更するのは異例で、この日の参院厚労委員会は紛糾。塩崎恭久厚労相が謝罪した。介護保険法改正案の採決を強行した衆院に続く連日の厚労委の混乱となった。
削除したのは、議員説明に使う法案の概要説明文書で、相模原市の障害者殺傷事件に言及し「二度と同様の事件が発生しないよう法整備を行う」と記した部分。同省ホームページにも載せていたが、厚労省の担当者は「誤解を招く表現だったので削った」とする。法案には精神障害者支援地域協議会に警察が関与する仕組みが入っている。これに野党などが「犯罪防止のための監視」につながるなどと批判していた。(2017年4月13日朝日新聞)

【措置入院後の支援期間、半年に 厚労省方針】

相模原市での障害者殺傷事件を踏まえた精神疾患患者の措置入院後の支援継続策で、厚生労働省は、支援期間を原則6カ月以内とする方針を固めた。退院から半年以内に再入院する患者が多いため、その期間に限定する。支援の継続を「監視につながる」と懸念する声に配慮する狙いもある。法案に盛り込まれた新しい仕組みでは、保健所がある自治体に設置される「精神障害者支援地域協議会」が、措置入院中の患者の退院後の支援計画を策定。自治体が患者の地域生活を医療や福祉面で支援する。ただ、協議会には警察も参加するため、野党は国会審議で「退院後もずっと監視される」と問題視。また、支援を担うことになる自治体からは、人手不足や財政負担を懸念して支援期間を限定するよう求める声が出ていた。(2017年4月29日 朝日新聞)

措置入院制度を改正する議論は、「監視だ」との批判をかわせるのに加え、現場から強い要望が上がり、「支援期間6か月」で落ち着きそうです。議論は、事件の再発防止ばかりに目が行き、人権保護の視点が欠落してしまった印象を受けます。

【障害者差別解消法1年 「差別受けた」3割超】

障害者差別解消法の施行から4月で1年になるのを機に、本紙は、東京都内に居住したり都内で活動したりする障害者にアンケートを行った。身体、知的、精神に障害がある123人が回答。この1年間に差別的な扱いを受けた人は3割超に上り、社会が良くなったと感じるのは5人に1人にとどまった。
障害者差別解消法は、障害のある人もない人も共に生きる社会の実現をうたっている。しかし、その趣旨が行き渡っておらず、障害者が暮らす上での「壁」が依然として多い実態が浮かび上がった。同法は国や自治体に対し、負担が重すぎない範囲で障害者に対応する「合理的配慮」を義務付けているが、役所など公共施設であった差別的扱いの実例が複数寄せられた。(2017年4月13日 東京新聞)

アンケートの結果、「差別的扱いを受けた」と答えた人は35%に上り、多くの人が(飲食店・商店・映画館・駅や電車・バスを利用する場面)で差別的な扱いを受けたと答えています。
差別に関する社会の変化は、「良くなった」と答えた人が22%に対し、「変わらない、悪くなった」と答えた人が75%になりました。

刑法学者の言う「偏見が社会に広まれば、市民が差別の担い手になる」が懸念される結果です。「精神障害者=危険な存在」という偏見が世の中にはびこってしまえば、精神障害者雇用の現場が円滑に進むことはありません。事件の再発防止を願いながら、偏見を持たないよう(正しい知識を得る)ことが、私たちには求められています。

出典元:朝日新聞・厚生労働省・東京新聞